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今、私の名刺をもらった人は、一様に驚きの声を上げる。
「出された本が、いきなりアマゾン1位のベストセラーですか!!」
「全国に500名もいないジェトロ認定の貿易アドバイザーで、しかもご自分でも実際に輸入商社の社長さんをされているんですか!」
「コンサルタントをされていてテレビ・ラジオ・新聞なんかにもたびたびとりあげられているんですか!」
「こんなにいっぱいの公的機関からプロデューサーやエキスパートと認定されているんですか!」
こんな感じである。
およそ、名刺のわりには、肩書きを読み終わるまでに10分くらいはかかるだろう。
そのくらいのすごい情報で溢れている。
また、そのようにわざと作っているのである。
それは、なぜか?
自分のことは自分で言わないと理解してもらえないからだ。
私は、これらの肩書きはすべて、努力の結晶だと思っている。
それだけのことをしてきた。
このはみ出しそうなくらいに書いてある肩書きはすべてこの26年間で私が手にしてきたものである。
自分で自分の名刺を見るたびに、自分が成し遂げてきたことが次々と思い出されて
ひとり微笑んでしまうときがある。
二枚重ねの表と裏にびっしりと書かれた経歴、略歴が自分への褒美だとさえ思っている。
しかし、そうしているときでさえ、10年前に起こった、ある出来事が今でも私の頭の片隅から決して離れることがない。
10年前の私、
この写真を撮った直後、屈辱的な悲劇が起こる・・・
それまでの私のビジネスにおける人生で受けた、もっとも屈辱と思える出来事だ。
それは、当時から日本で最大とうたわれたギフトアイテムの祭典である
「東京インターナショナルギフトショー」で起きた。
いや、私自らが起こしてしまったのである。
この少し前、私はスペインのさほど大きくない展示会で運命の出会いとも思える商品と
めぐりあった。
少なくともこのときは本当にそう思った。
ガラス製のスタンドランプで、胴体の部分の薄いガラスの中にはドライフラワーや
ウッドチップがふんだんに飾られている。
ナチュラルでいてゴージャス、しかも私はその類の商品を日本で見たことがなかった。
その時の私の興奮ぶりはすごいものであった。
すぐさま、ブースに分け入り、このランプがいかに素晴らしいか、日本から来たこと、
このランプの日本での販売を任せて欲しいことなどを、一気にまくし立てた。
実際は、日本へはすでに輸出していたのだが、私の剣幕に気おされたかのように、
メーカーの女性は、幾分困った顔でサンプル出荷を約束してくれた。
日本へ戻った私は、興奮が冷め遣らず、このガラスランプをもってして、
ギフト業界へも打って出ようと考えた。
初めての「東京インターナショナルギフトショー」への出展を決意したのである。
それからしばらくは、本当に楽しかった。
あのランプでいっぱいに飾った私のブースを思うだけで胸が躍った。
私の計算では、確かにタイトな期間ではあったが、遅くともギフトショーの1週間前には、
ピカピカのサンプルが届く予定だったからである。
私があれほど待ち望んだスペインからのサンプルが実際に日本についたのは、
予想通りショーの2週間前だった。
しかし、ギフトショー期間中を通じて、サンプルが港についたままの姿で私の手元に
来ることはついぞなかったのである。
ギフトショーのちょうど2週間前になって、横浜の税関からの問い合わせの電話が鳴った。
私が入れたスペインのガラス製スタンドランプについてである。
胴体部分の中に入っているドライフラワーの種類について申告してくれといってきた。
中身の確認ができないうちは、通関できないとのことである。
あわてた私はすぐに電話とFAXでメーカーに確認した。
じりじりするような何日間かのタイムラグの後、ようやく1枚の紙がFAXされてきた。
メーカーからの中身の返答である。
細かなタイプ文字で10行ぐらいにわたって、見慣れない英語の単語が書かれてあった。
私は、担当の社員に日本語に訳して税関に申告するように指示し、
自分では幾分ほっとしながらも、ギフトショーでの楽しい販売戦略の会議に臨んだ。
また、何日かして、税関からの電話が鳴った。
中身についての再度の質問である。
税関「この書類に書いてある、稲について、もう少しくわしく種類を教えてください。」
私「えっ、稲ってなんですか?」
税関「御社からの書類に書いてあるんですが、種類によっては輸入禁止の可能性があります。」
私「えぇー、輸入禁止!」
あわてて、メーカーからの中身のFAX用紙をみてみると、
確かに an ear of rice と書いてある。
担当社員に問いただすと、
「辞書で引いたら稲のことだったので稲って書きました。」
私は、恥ずかしいことに、このとき一部の稲が輸入禁止品目に指定されていることを、
知らなかった。
社員のことは責められない。そんなことはわかっていた。
私自身が知らなかったのだから。
しかし、その時の私はつい
「なんで、こんな大事なことを確認しないんだぁ!」
社員を怒鳴ってしまっていた。
そのことにより、自分自身がよけい腹立たしくなさけなくなった。
私は、直接税関に掛け合うつもりで横浜に向かった。
そんな行為がなにも変えられないことをうすうす承知の上で。
その後の私がとった行動はよけいに惨めなものだった。
スペインのメーカーに連絡を取り、日本で私より先に入れていると言う業者を
教えてもらい、青山にあったその店へ私が手にできなかったそのランプを
社員に買いに行かせた。
私のランプとどこがどう違うのか知りたかったからだ。
いや、それよりも、その日本で買い集めたランプをもってギフトショーに飾ろうと
思ったのである。
わたしにとって、記念すべき最初のギフトショーは、
このように「針のむしろ」のような三日間だった。
惨めだった。
すべての人が、私を笑っているかのように感じた。
隣同士の同業者が、ふらりと舞い込んでしまった新規のお客さんが、
そして私の処女航海を祝おうとわざわざ尋ねてくれた古くからの友人やお客さんまでもが・・・
後日、何年かたってから私の弟が、このときの私を見かけたという話をした。
「なんか、笑っているんだけど、それが怒っているようにも、泣いているようにも見えた。」
とても、声をかけれる雰囲気ではなかったそうである。
その通り、私は初日が終わった後、ホテルに戻り、一人恥ずかしさに泣いた。
私には長くつらいショーが終わったあと、社員と二人で再度横浜へ向かった。
結局輸入はできないので、廃棄してくださいとのことである。
私と社員は、無表情にランプを分解して中身のドライフラワーだけ捨てた。
このとき、私の中で何かが確実に変わった。
「このままでは、いけない。このままでは、いけない。このままでは、いけない。
知らなかったことが悪いんじゃない。
今まで、詳しく知ろうとしなかったことのつけがまわってきたのだ。
私は二度と無知がもとの、このような愚かな事はすまい。
このような、愚かな事は社員にさせまい。」
このとき、私がランプの中身を捨てながら決心したことはこれだった。
「もっと、勉強しなければならない。」
かばん持ち時代の私、すべてが学びでした。
この、ギフトショーでの屈辱が私に学びの重要性を痛感させた。
それまでの、おごりや中途半端な気持ちを根底から覆して見せたのである。
輸入で食っていくためには、私には、まだまだ学ばなければいけないことが
山ほどあることに気がついたのである。
それまでは会社もある程度まわっていたし、社長と言う立場も、
少なくとも自分の会社の中では、人から何か言われる立場にないことを意味していた。
知らず知らずのうちに、何かを学ぶと言うこと自体を忘れてしまっていたのである。
私は、今よりいっそう変わらなければならなかった。
その上で、自分の指針となるべき人を求めていた。
そんなある日、突然に私はメンターと出会った。
私が出会ったメンターは、前向きで、変化を恐れず、誰に対しても気後れのしない、
どちらかと言うと無口なタフガイであった。
ある会合で、偶然出会ったMさんは、自分ひとりで海外に行き輸入をしていると言う。
そのビジネスのスタンスに共通点を見出した私は、Mさんに興味を持った。
その、若いのに堂々とした物腰は、海外での経験の多さを感じ、
私はどんどん話し込んで言った。取扱商品も、私と同じインテリア関係だった。
私は、Mさんと話せば話すほど共感し、何よりもその知識の深さに打たれた。
私の師となるには、この人しかいない。直感のようなものが走った。
それからは、事あるたびに、Mさんについて回った。
そして、Mさんの商品はすべて買った。すべてである。
「その人から何かを学ぶには、その人のお客になることである。
そうすれば、相手は私のことをそうそう邪険にできない。」と言うことが、
今までの経験上私には分かっていたからである。
そして、ある時、意を決して、わたしは切り出した、
「Mさんはよく海外に買い付けに行かれますが、今度行くときに
私も同行させてくれませんか?かばん持ちとして考えてくださって結構です。」
ちょっと、ビックリしていたMさんも、お客であるわたしの言うことは
さすがに断りづらかったのか、最後にはOKしてくれた。
この時から、私の一人前の輸入のプロになるための50日間の旅が始まったのである。
のべ数回に分かれてはいたが、合計すると50日間はついてまわった計算になる。
その時の、Mさんからの条件としては、
1、
Mさんのビジネス中は、口を出したり、質問したりしない
2、 文字通りかばん持ちをする
この2つであった。旅費やその他はもちろん、自分の分は自分もちである。
もし、このときMさんよりビジネス中に口を挟んでもOKと言われていたとしても、
おそらく私は無口なままだったに違いない。
私はこの50日間で、文字通りMさんからすべてを学んだ。と言うより盗んだ。
私にはこの50日間の経験から、
輸入のプロ「インポートプレナー」としての新たな道が開けたのである。
プロの貿易商として成功を収めた頃の私
この後人生最大の危機を迎えるとも知らずに・・・
それからの数年間は本当に早かった。今思い出してもあっという間である。
一度インポートプレナーとしての感覚を身につけた私にとっては、毎日が楽しい
学びの日々だった。
私が、輸入ビジネスにすべての力を注ぎ込むようになる前の私の会社は、
いわゆる、家具の卸問屋の形態をなしていた。
それまでの私のビジネスの本管となるべき基本自体がそうだったのである。
その当時の家具業界においては、古くからの因習が強く残り、
特にキャッシュフローの面においてそれは顕著であった。
古くからの悪習と私は、あえて言いたい。
手形決済のことである。
特に、外国との取引が増えるたびに、手元の現金の流れを把握することの重要性を、
私は痛感した。
外国のメーカーは、本来受注生産方式をかたくなに守っている。
彼らにとって、受注イコールオーダーではない。
受注イコール入金だ。
特にヨーロッパの場合など、量が多くなればなるほど私がお金を払ってから
90日くらいしないと、商品が手元に来ないのは当たり前なのである。
製造60日、船便で30日。
それなのに、当時の私のほとんどのお客様が月末締めの120日の手形決済であった。
商品が私の倉庫について、そのままその日にお客様へ出荷したとしても、
私が最初に支払ってから最短でもなんと210日現金化しないのだ。
これが、当時の私のビジネスである。
誤解のないように申し上げておくが、私は何も当時のお客様が悪いとは、
全然思っていない。
ただ、その業界で輸入業者として生きていくには、そのくらいの覚悟と
何よりも、豊富な資金力がないとやっていけないということを申し上げたいだけなのだ。
そうでないと、売れば売るほど、震えて眠る日々を覚悟しなければならない。
そこに生きる人々が悪いわけでは決してない。
決済の慣習が現代にそぐわないのだ。
今の私は、本やセミナーの中で、特に次のことを強調している。
「お客様からは、くれぐれも前金で貰ってください。」
ということである。
これは、何よりも私が実体験の中で、ビジネス成功の最大要因と感じることだからである。
この頃の私が、ビジネス人生最大の危機ともいえることより身を持って学んだ教えである。
「自分はできる限り後払いで支払い、お客様よりはかならず前払いでいただく。」
この教えの代償は私にとっては、想像以上に大きかった。
なぜならば、それは一人の友人の死よりの尊い教えだったからである。
その頃の私は、一日一日身についてくるインポートプレナーとしての輸入のテクニックに
有頂天になっていたのかもしれない。
私にとって何回目かのギフトショーが終わって、毎回増えてくる手ごたえに私は満足が
いっていた。
何も商品がなかった屈辱の第1回目のショーの思い出など遠くへ行ってしまったかのようであった。
そんなある日、1本の電話がなった。社員が言うには社長を呼び出していると言う。
私は、何気なく電話に出た。
電話の相手
「あ、社長さんですか。私、××××商事のKと申します。
先日ギフトショーで、社長のブースに立ち寄らせていただいたものです。」
私
「あ、ありがとうございます。それでは担当のものに替わらせていただきます。」
電話の相手
「あ、いえいえ、ぜひ社長さんにお礼を言いたくてお電話させていただきました。」
本来であれば、私が電話に出ることはなかったのだが、お礼という言葉に私は話を
聞かざるを得なくなった。
電話の相手
「いや、実は、私どもは条件のきついお客様に新規商品の発掘を常に言われて
いるんですが、お客様と一緒に御社のブースに言ったときに、お客様が御社の
商品を一目で気に入ったんです。」
私
「それは、ありがとうございます。」
電話の相手
「そこで、商談をしたかったのですが、その際は御社のブースも忙しくされていたし、
私どもも時間がなかったものですからお話が出来ませんでした。」
忙しかったのは、事実である。ギフトショーでは毎回人手が足りないほど引き合いがあった。
私は、この時不覚にも一人納得して、相手を信用してしまっていた。
私
「そうですか。それは失礼をしました。
お連れ頂いたお客様は私どものどの商品をお気に召していただいたのでしょうか?」
電話の相手
「そのことなんですが、ごめんなさい、いっぱいブースが在ったもので・・・
御社の取扱商品は何でしたでしょうか?」
この段階で、普通はおかしいと思わなければいけなかった。
でも、この時の私はおかしいと思わなかった。
取扱商品の説明を一頻りした後、一息ついた私に先方の担当者は、お客様に確認するので
サンプルが欲しいと言ってきた。
サンプル送付の翌日、幾分興奮気味の先方担当者より、再び電話をもらった。
電話の相手
「社長さん、喜んでください。決まりましたよ。
2週間後にオープンする新店に入れ込みたいとのことです。早速、商品を送ってください。」
私
「わかりました。すぐに手配します。」
電話の相手
「いやぁ、やっぱり社長さんだと決断が早くて助かります。
なにしろお客様は気まぐれでスピード対応が命なものですから。」
私
「ありがとうございます。これからもどんどん紹介してくださいね。」
この時、私は正直自尊心をくすぐられて、悪い気はしなかった。
というより、今思うと恥ずかしい話だが、相手のお世辞に乗せられていたのである。
私は、他愛もない「パクリ」といわれる詐欺にまんまと引っかかっていた。
この段階で500万円の貸倒引当金が発生していた。
この後営業会議においても、普段は営業員の売掛回収率にチェックを入れていた
私のこの失態には、誰も触れようとしないのがよけいに落ち込む結果になった。
「人のことより、お前はどうなんだよ?」
沈黙の中にも皆がそういっているように感じた。
何も言わない社員の態度がよけい私を苦しめた。
そんな時に1年ほど前インテリア関係の小売店をオープンしていた、友人のRが、
久しぶりに一献傾けようと言ってきた。
今思うと、私に大事な相談をしたかったのだろう。
でも、自分の失敗で頭がいっぱいだったそのときの私には、
友人Rのそんな気持ちに気づく余裕はもちろん無かった。
待ち合わせのスナックで会うなり、Rは私の落ち込んだ様子に気づき、
何かあったのかと静かに聞いてきた。
私は、仕事での失敗をしたこと、人間関係のこと、会社のこと、
その他色々取り留めのない話をし、Rはそんな私の話をうんうん、聞いてくれていた。
今思うと、その時のRの態度も相当おかしい様子であった。
なによりも顔色が悪かった。
友人のRとは同じインテリア・家具関係で私が輸入元、Rが小売店ということもあり、
当然私の商品はRの店に相当入っていた。
専属の担当者をつけていたくらいである。
担当者の話により、私は人のいいRが一般の顧客相手にも商品代金を後で回収する
売掛のようなことをしているとは、聞いていた。
なかなか、回収できなくて、
「家具屋なんだか、借金の回収屋なんだかわからないよ。」
みたいなことを言っていたこともあったということを後で聞いた。
そのRが自殺したということを聞いたのは、スナックで取り留めの無いことを話してから
しばらくしてからだった。
その訃報を聞いたとき私は、ショックにしばらく声がでなかった。
最初にRの顔が浮かび、そして奥さんと子供さんの顔が次々に浮かんできた。
涙が出たのは、何時間かしてからだった。
はっきりした理由は今でもわからないが、
Rが亡くなった後、どこかにいなくなってしまった残されたご家族や、
すぐに店を占拠したただならぬ連中の存在が、私に原因を伝えていた。
本当のことは誰もわからない。
でももし、Rがすべての商品を販売するときに普通に現金で回収していたのなら、
こうはならなかったのかもしれない、という思いは今も私の頭に強く残っている。
結局は、私のRの店にたいする売掛金400万はそのままになり、また損失を出してしまった。
Rの死に対するショックは、それからしばらく私からすべての気力を奪ってしまった。
私はなにかすべてがいやになってしまったのである。
会社に行っても、何もする気がおこらない。
でも、何もしないことの結果に対しての恐怖は存在していた。
私もいつかRのような決断をしなければならない日が来るのではないか?
という思いは、心底私を縛り付けた。
恐かった。正直恐かった。でも、何かをする気には成れなかった。
あれほどまでに、燃えていた輸入のプロ「インポートプレナー」への道も
なにか遠く霞みながら、揺らいで見える蜃気楼のようだった。
今思うと、この時期私は人生最大の危機に直面していた。
それは、
脱力感、無気力、恐怖、怠惰、厭世観、シニック、被害者意識
これらが、綯交ぜになってこの時の私を捉えて放さなかった。
この時の私は友人Rと同じく「死んでいた」のである。
そんなある日、気乗りしない営業会議の席である営業員が珍しく力強く
営業報告を行っていた。
「社長、しばらくぶりに百貨店のDに売り場を任せてもらえそうです。
60坪展開をねじ込みました。うちの商品でいけます。」
営業が決してうまいとはいえない社員の成果の報告を聞いているうちに、
私はその営業員と亡くなったRとを重ねていた。
苦しんでいたRの力になれなかった自分を恥じていたからである。
「おぉ、それはすごいな。」
私は、気乗りしない自分に叱咤激励しながら、Rのイメージと重なる営業員を称えた。
「はい、前からの営業努力が実りました。つきましては・・・・・・」
私には、後の報告は聞こえなかったが、その時はその営業員を全面的に
信じることに決めていた。
あまつさえ、坪100万原価の商品導入を決めていたその営業員に、
倍の200万の商品を入れるように指示したのである。
誤解の無いように言っておくが私に、故人の名誉を傷つける気は毛頭ない。
亡くなったRとその営業員の印象が似ていたからといって、どうということはない。
ただ、私の気持ちの中で、Rへの思いがその営業員の少しばかり怪しい報告を
後押しする結果になったことは事実である。
商品納品後2週間して、まるで計画的だったかのように百貨店Dは倒産した。
私たちが納品した1200万円の商品は、回収不能となっていた。
後日、担当営業員より、実は自身の営業努力ではなく、先方よりの依頼の電話による
納品だったことが判明した。
それでも、時はすでに遅かった。
三度にわたり、重なった仕事における失敗で、私はこの時失意のどん底にあった。
もう、すべてを終わりにして、どこかへ行ってしまいたかった。
この時、私の心は二度までも死んだのだ。
次の日の朝、私は長い間に培った習慣ともいえる感覚だけで、何とか会社についていた。
自分で行こうとは決して思っていなかったのは事実である。
夢遊病者のように入っていった私に、いつものように社員は笑顔で、
「おはようございます。」と挨拶をしてくれる。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
「あぁ、おはよう。」
なんとか返事をした私は、いつもの自分のデスクに何とかたどり着いた。
私のデスクの後ろには書庫にしているキャビネットがあって、その上には、
この数年間に私が頂いた、賞状やトロフィー、たてなどが所狭しと並んでいる。
「それが、何なのだ?今となっては関係ない。
私はすぐにでも、すべてを捨ててどこかへ行くのだ。」
そんなことを思っていた私の目に一番はしに乗っていたあるものが飛び込んできた。
それは何か?
忘れもしない、最大の屈辱!
中身の入っていない、ガラスのランプであった。
私のデスクの後ろに今でも飾ってある
中身の入っていないガラスのランプ、私の原点でもある・・・
半ばボーっとしていた私の頭に、衆目の中で感じた、私の最大の屈辱、
私にとってのデビューとなった、
「東京インターナショナルギフトショー」での出来事が
まざまざと思い出されてきた。
瞬間私は、当時よろしく恥ずかしさで顔が赤くなった。
次にこみ上げてきたのは、「怒り」である。
私はぜったいこのままでは終わらない。
今私を笑っている人たちよ、いつかきっと思い知るが良い。
私はぜったいこのままでは終わらない。
私は、長くこの屈辱の時の思いを忘れないように、中身のない、からのランプを
わざと私のすぐ後ろに飾っていたことを目にし、あの時の、悔しい思いを思い出したのだ。
「私は、絶対このままでは終わらない。」
私の中に、忘れていた熱い思いがこの瞬間に戻ってきた事を実感したのだった。
私は、もう引かない。私は、もう後ろを見ない。私は、もう前進あるのみ。
私は、もう惑わされない。私は、もう信ずるのみ。私は、もう結果をだすのみ・・・
私は、瞬間にして・・・、本当に瞬間にして
どん底よりの生還を果たしたのである。
蝶になる前のさなぎは、決して美しいものではない。むしろ逆である。
生みの苦しみが大きいほど生まれてくるものは、尊く、清く、美しい。
この時より、私の中で何かのスイッチが確実に入った。
以来、3000件を越す商談と貿易に関するアドバイザー実績を重ね、
東京インターナショナル・ギフト・ショー ネーチャーコレクション 準大賞を受賞
平成16年には全国で500名といない難関資格である日本貿易振興機構、
略してジェトロの認定貿易アドバイザー試験に合格。
ネーチャーコレクション準大賞の授賞式にて。
コンサルタントして、大きく羽ばたくきっかけとなりました。
その後、数々の企業の貿易に関するコンサルタントで実績を積み、多くの億万長者を生み出す。
平成18年には日本実業出版社より
「初めてでもよくわかる輸入ビジネスの始め方・儲け方」出版。
発売前日にすでに世界最大のネット書店「アマゾン」にて
あらゆる和書(日本において出版された書籍)売上NO.1を記録する。
現在、すべての貿易ビジネスに携わる人の指針となるべく
会員制コンサルクラブ「インポートプレナーズクラブ」を運営。
知識、経験など輸入ビジネスで儲けるために必要なことをすべて網羅し、
会員にとって今必要なことを的確にアドバイスするサービスは評判となり、
大須賀祐とともにギフトショーをまわり、実践の場でノウハウを学べる実践講座は、
参加費が20万円〜30万円と高額ながら、募集開始から2時間で満員御礼になるほどの
人気を博している。
また、法人向けコンサルティングサービスの顧客からは、
ゼロから輸入ビジネスをはじめて年商5億円を達成した方や、
超人気健康茶の独占販売権取得など実績を出す者多数となっている。
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