スパニッシュな昼下り
みなさん
こんにちは!
スペインと言えば何を思い浮かべますか?
闘牛(ふんふん)フラメンコ(いいですね!)アルハンブラ(エキゾチック!)
人によって思い浮かぶものはいろいろありますよね。
私が最初にスペインを訪れたのは忘れもしない今から30年前の事だった。
当時大学生であった私はヨーロッパ放浪1ヶ月のうちの半分をスペインで過ごすことになったのです。
ロンドンからマドリットに入りバスと列車にゆられトレド・セビーリャ・コルドバ・グラナダ・バレンシアと
忘れることができない思い出とともに各地を徘徊しました
特に南スペインのアンダルシア地方の異彩を放つ趣きは私のその後の人生を決定づけました。
多分あの時からジェトロ認定貿易アドバイザーへの遠くて長い道程が始まったような気がします。
今と違ってあの当時のスペインはあのマドリッドさえも他のヨーロッパ諸国と比較して治安がいい国でした。
住む人々もおだやかな人が多く、当時我々東洋人は田舎に行くと非常に珍しがられ
子どもたちは遠まきにしながら口々に『チノチノ』とささやきながら私をみるんです。
こっちは何の事やらさっぱりわからずそれが『中国人』を意味するスペイン語だと
わかったのはずっと後の訪問のときでした。
世界中でブルース・リー(若い方はしらないかな?)のカンフー映画が大ブレイク
していて当時のスペインでも例外ではありませんでした。
私が黒いマンボズボン(黒いスリムのジーンズの事 今でも販売されてるのかな?)
をはいているものですからそれがブルース・リーのチャイニーズパンツに見えたことと、
東洋人であるということだけで空手使いと思われたようです。
負けん気の強い子どもに勝負をいどまれ引くに引けなくなってしまって、
出来もしない空手のふりをしたという今でも赤面する思い出があります。
アルハンブラ宮殿にうっとりしている時でした。
若かったからできたんでしょうね、多分。
比較的安全だといわれたスペインの中でも危険だから近づくなといわれていた地域に
ジプシーの居住地がありました。
そこには丘の斜面をくりぬいて作られた文字通り洞窟居酒屋のようなものが多く散在してたんですね。
中に入ると電気はなくランプの燈りだけの文字通り夢の中って感じなんです。
向こうで言うバル(bar)とはちょっと雰囲気の違った独特の妖しさがある場所なんですよ。
そこでジプシー達が踊っていたフラメンコは今でもまぶたに焼きついて離れません
商業用じゃない自分たちの楽しみもしくはやるせなさをぶつけるかのような激しさ。
情熱ということばの意味を理解した瞬間でした。
時は過ぎもう何度目の訪問になるでしょうか。
現在はバレンシアにあるランプメーカーとの取り引きでスペインを訪れるようになりました。
取り引き先のメーカーの窓から見える景色は一面のオレンヂ畑、温暖な気候と相まってシェスタ
の意味を膚で感じることができます。
取り引き先である輸出部長のカルメン女史と社長との昼食をとりはじめたのが午後2時
たくさんの料理とワイン・・・・・・終ったときは午後5時
まぶたが重くバレンシアの太陽がさんさんとふりつける。
私はその日は真っすぐホテルに送ってもらいただただ『シェスタ』※1
「僕らスペイン人は働くために食うんじゃない。食って楽しむために働いてるだけさ」
ってウィンクする太っちょパコの笑顔に会いに、僕はまた彼の地を訪れることでしょう。
幾度となく・・・・・
※1お昼寝
みなさん
こんにちは!
スペインと言えば何を思い浮かべますか?
闘牛(ふんふん)フラメンコ(いいですね!)アルハンブラ(エキゾチック!)
人によって思い浮かぶものはいろいろありますよね。
私が最初にスペインを訪れたのは忘れもしない今から30年前の事だった。
当時大学生であった私はヨーロッパ放浪1ヶ月のうちの半分をスペインで過ごすことになったのです。
ロンドンからマドリットに入りバスと列車にゆられトレド・セビーリャ・コルドバ・グラナダ・バレンシアと
忘れることができない思い出とともに各地を徘徊しました
特に南スペインのアンダルシア地方の異彩を放つ趣きは私のその後の人生を決定づけました。
多分あの時からジェトロ認定貿易アドバイザーへの遠くて長い道程が始まったような気がします。
今と違ってあの当時のスペインはあのマドリッドさえも他のヨーロッパ諸国と比較して治安がいい国でした。
住む人々もおだやかな人が多く、当時我々東洋人は田舎に行くと非常に珍しがられ
子どもたちは遠まきにしながら口々に『チノチノ』とささやきながら私をみるんです。
こっちは何の事やらさっぱりわからずそれが『中国人』を意味するスペイン語だと
わかったのはずっと後の訪問のときでした。
世界中でブルース・リー(若い方はしらないかな?)のカンフー映画が大ブレイク
していて当時のスペインでも例外ではありませんでした。
私が黒いマンボズボン(黒いスリムのジーンズの事 今でも販売されてるのかな?)
をはいているものですからそれがブルース・リーのチャイニーズパンツに見えたことと、
東洋人であるということだけで空手使いと思われたようです。
負けん気の強い子どもに勝負をいどまれ引くに引けなくなってしまって、
出来もしない空手のふりをしたという今でも赤面する思い出があります。
アルハンブラ宮殿にうっとりしている時でした。
若かったからできたんでしょうね、多分。
比較的安全だといわれたスペインの中でも危険だから近づくなといわれていた地域に
ジプシーの居住地がありました。
そこには丘の斜面をくりぬいて作られた文字通り洞窟居酒屋のようなものが多く散在してたんですね。
中に入ると電気はなくランプの燈りだけの文字通り夢の中って感じなんです。
向こうで言うバル(bar)とはちょっと雰囲気の違った独特の妖しさがある場所なんですよ。
そこでジプシー達が踊っていたフラメンコは今でもまぶたに焼きついて離れません
商業用じゃない自分たちの楽しみもしくはやるせなさをぶつけるかのような激しさ。
情熱ということばの意味を理解した瞬間でした。
時は過ぎもう何度目の訪問になるでしょうか。
現在はバレンシアにあるランプメーカーとの取り引きでスペインを訪れるようになりました。
取り引き先のメーカーの窓から見える景色は一面のオレンヂ畑、温暖な気候と相まってシェスタ
の意味を膚で感じることができます。
取り引き先である輸出部長のカルメン女史と社長との昼食をとりはじめたのが午後2時
たくさんの料理とワイン・・・・・・終ったときは午後5時
まぶたが重くバレンシアの太陽がさんさんとふりつける。
私はその日は真っすぐホテルに送ってもらいただただ『シェスタ』※1
「僕らスペイン人は働くために食うんじゃない。食って楽しむために働いてるだけさ」
ってウィンクする太っちょパコの笑顔に会いに、僕はまた彼の地を訪れることでしょう。
幾度となく・・・・・
※1お昼寝
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